久々近況云々
このブログで、私は何度「お久しぶりです」と言っているのでしょうか。
本当に「お久しぶりです」
約1年前に、ちょこちょこ更新します!と宣言して、今に至ります。
あの宣言は何だったんだ???
申し訳ございません。
気分屋ですみません。
これからは、「何かネタが思いついたら更新」することにします。
よろしくお願いします。
さて、
この1年はコロナ禍もありますが、私自身に関しても大きく変化した期間でした。
これまでの記事を読まれて察している方もいらっしゃるかもしれませんが、これまでは学生でございました。今は会社員です。
日本語パートナーズに関してのブログでしたので、派遣後どうなったのかに関しても、後日投稿したいと思います。今も定期的に現地と連絡しています。コロナがなかったら派遣地に行こうと思っていました。戻れる日はまだまだ先かもしれませんが、必ず1度は戻りたいと思っております。
日本語パートナーズ事業に関しても少しだけ。
2020年は、派遣される方々は決まっていましたが、残念ながら中止となったそうです。
2021年は、一部地域での募集が始まっているそうです。
現在は、現地での活動、NP活動後の行動・事業など、パートナーズが登壇するイベントが定期的に行われています。興味ある方は、ぜひチェックしてみてください(ちなみに2年前ですが、私に登壇依頼がありました。しかし、残念ながらスケジュールの都合が合わず、参加できませんでした😢)
では、またネタが思いついた時にお会いしましょう(`・ω´・)+
皆様、心と体の健康第一でお過ごしくださいませ🍵
【失敗から】 大勢の前での挨拶
日本語パートナーズとして、インドネシアの大学の文化祭(この記事に書いている文化祭)に参加した時の出来事です。
この記事では、「日本語パートナーズの自己紹介」と、サラッと書いているのですが、実は、この自己紹介で、最大にやらかした出来事がありました・・・。
前で自己紹介してくださいと頼まれ、舞台に立つ。
舞台からたくさんの人・人・人が見える。
舞台から180度、いや250度にお客さんがいます。
夕方で日も落ちてきていて、照明が我々日本語パートナーズを照らしています。
お客さんの中にはスマホをペンライトのようにして振っている人もいます。
「たくさんの人」「日本人(=外国人)として立つ」「目立つ舞台」
私の心臓が次第に
バクバクバクバク
バクバクバクバク
このような期待度MAXな状況になると、よっしゃ、やってやるで〜!となってしまう性格です。
「maki先生は最後でインドネシア語でお願いしようかな〜」
司会者の先生による提案。
(期待が高まっている。これは決めなきゃ。)
今考えると、自分で自分を追い込んでいました。
マイクが渡され、自分の番になりました。
大きく息を吸って、まるで有名歌手のライブ会場で行われているような気分で、
「SELAMAT PAGI~~~~~~~~!!!!!!!!!」
会場が笑いで埋め尽くされる。
頭が真っ白になった。
なんでや・・・・。
冷静になってわかりました。
夕方なのに、大声で「おはようございま〜〜〜す」と言ったからです。
司会の先生も、来賓席に座っている教授方も、CPの先生も、文化祭スタッフの皆さんも、学生さんも、教えていた高校生も、見学に来ていた生徒も、階段で見ている人も、高台から見ている人も、とにかく皆さん笑っている。
笑い声が続けば続くほど、ライトで照らされた自分の顔がだんだんと赤くなっていくのがわかりました。
滞在して三週間くらいとまだまだ序盤だったので、この失敗はグサッと胸に刺さりました。(あぁ〜やらかしたぁ)
「インドネシア語、教えてください〜」
先ほどの10分の1の声の大きさで呟いた。
すぐにスタッフさんにマイクを渡した。
舞台から降りると、周りを取り囲まれた。
写真撮ってください
握手してください
メアド教えてください
インスタグラム教えてください
などなど.......
なぜこのような状況になっているかわかりませんでした。
話を聞くと、「インドネシア語を話してくれたから」とのことでした。
外国の人が片言の日本語で話してきたときに、
「下手やなぁ」「間違ってるやん」
という感情は、きっと多くの人は湧かないですよね。
むしろ、日本語を話してくれて嬉しいって思いませんか。
きっと逆も同じです。
外国語を学ぶ時の最大の壁は「ミスを恐れること」だと思います。
母語ではないから、ミスが多くなるのも当然。「常に学習者」ですから、本当は「完璧でいなければいけない」という重圧なんて、全くありません。
今回は盛大にミスをしましたが、ミスをしたからこそ、インドネシア語にもっと親しみを持てるようになりました。自分では「大失敗」と思っても、意外と面白い結果に転がることもあります。
「失敗」はとても嫌いです。できれば失敗などない人生を送りたい、そんな風に思っている人間です。ですが、人生を振り返れば、失敗が「きっかけ」となったことが多かったです。
良い結果が出た出来事は、「その事実」のみが残ることが多いです。
でも、失敗した結果が出た出来事は、「その事実」よりも「反省」と「自分の行動の変化」が大きく残ることが多いです。
実は失敗の方が学ぶことが多いのかもしれません。プラス、失敗はだんだん笑い話になっていくことが多いですから。こんな得なものはないですね( ̄▽ ̄)
再開
お久しぶりです。
このような大変な状況になり、「やりたいこと」ができなくなった日々です。それよりも、常にウイルスを恐れる日々に、少し疲れてきたところです。1日でも早くこの緊張感が必要ない世界になって欲しいと願うばかりです。
私一人でこの環境を変えられることはできないので、「自分ができること」をやっていくしかないなぁと思っています。
その中で、自分の考えや思いを文字化する(ブログ)を再開しようと思っています。もともと「日本語パートナーズ」をメインに開設したブログですが、これからは違うテーマも増えてくると思いますm(._.)mまた、インドネシア滞在中には書かなかった滞在中の思い出も書こうと思っています。
投稿する頻度は気まぐれですが、どうぞよろしくお願い致します。
「先生のおかげで、私の夢が叶いました!」
「先生のおかげで、私の夢が叶いました!」
この言葉は、CPの先生から言われた言葉です。
↑この記事での、男の先生です。
先日、東京にてCPの先生と再会しました。
Japan Foundationのプログラムで『CP研修』というものがあります。
CPの先生の中で、日本に興味がある・日本語を向上させたいと思っている先生が参加するプログラムです。このプログラムは、日本で約2週間、講義を受けたりグループプロジェクトを通して、より日本を理解するというものです。
このプログラムに参加するには、日本語による作文だったり、日本語力テストに合格したCPの先生が参加できます。
私がNPとして活動していて、4ヶ月目の時。
男の先生がよく言っていた言葉があります。
「私は日本へ行きたいです。日本で先生(=私)に会いたい。これは私の夢です。」
私は言いました。
「CP研修に参加しましょうよ!」
先生は高速で首を振りました。
「まだだめ・・・・。日本語ができない・・・・。」
先生はとにかく日本語に自信がありませんでした。
でも、私は先生なら絶対合格するだろうなという自信がありました。
先生は努力家だからです。人一倍向上心を持っていらっしゃいます。気になったことは何でも聞いてくれました。その姿勢を見ていた私にとって、先生はCP研修に選ばれるべき先生であると思っていました。
「先生、やってみましょう!」
当時、先生は全く乗り気ではない感じでした。少しずつですが先生の背中を押すような言葉をかけていました。何としてでもCP研修にトライして欲しいなぁと思っていたからです。
派遣期間が終わり、先生と別れる時。
「先生、私は日本で待っていますよ。CP研修で、日本に来てほしいです。」
と伝えました。念押しです。
「夢を叶えます。頑張ります。」
先生の言葉は力強かったです。
そして今年の6月。
JFのスタッフさんから連絡が。
それは、男の先生がCP研修に合格したということでした。
驚きと喜びと感謝と尊敬と・・・いろんな感情が混じって、言葉が出ませんでした。
先生の努力がこのような結果に繋がったのが本当に嬉しくて。
スタッフさんからまだ内緒にしておいてくださいと頼まれました。前もって教えてくださったスタッフさん。嬉しいです。
そして先日。
私たちは、東京で再会しました。
先生に日本の印象を伺ったところ、
・人が優しい
・街が綺麗
・ゴミが落ちていない
・ゴミを持って帰る人が多い
・バイクが少ない
・歩く人が多い
・電車に人が多い
・建物が高い
・店が早朝から開いている
などなど。
外国の方から見た「日本」を伺うのはとても興味深かったです。
1日だけでしたが、先生と日本観光を楽しみました。
とにかく驚いたことは、日本語だけでコミュニケーションを取ったことです。
いつか日本語だけで会話できる日が来るとは思っていましたが、正直こんなに早く来るとは思っていませんでした。先生がいかに努力されたかがわかります。また先生が日本をもっと好きになってくださって本当に嬉しいです。
「先生のおかげで、私の夢が叶いました!こんなに早く!日本に行きました!ありがとうございました。」
先生が涙を流しながら仰ってくださいました。
”日本語パートナーズ”というプログラムに終わりはないと思います。派遣期間が終わっても、いつまでもパートナー関係であると思っています。お互いに教え、お互いに学ぶ。このプログラムに参加してよかったなと、改めて感じました。私の場合は、CPの先生との相性が本当によかったと思います。このご縁に感謝。
私は、CPの先生の言葉に返しました。
「先生のおかげで、私の夢が叶いました!それは、日本のファンに、日本に来てもらうことです!ありがとうございました。」
コーピングの重要性
以前書いた記事と若干内容が被りますが、大切だと感じたことなので、改めて記事にさせて頂きます。
日本語パートナーズは本当に貴重な経験でした。たくさん学ばせていただきました。自分の人生を語る上で(まだ薄っぺらい人生ですが)欠かせないエッセンスになりました。現在、私は自分のことを話す機会が多く、その際にはパートナーズで感じたこと、経験したことを話すことが多いです。
その中で、決して話さないけど、日本語パートナーズ活動をしていて1番大切だったことがあります。それは、「コーピング」です。
コーピングとは、自分のストレスに対して、意図的に対処することです。
「私はコーピング術を学びました」
と言っても、ふ〜んと流されると思います。社会で役立つことではないからです。ですが、自分自身にとっては、本当に大切なことなんです。
前置きが長くなりました。すみません。ここからが本題。
日本語パートナーズにせよ、何かに挑戦する際、必ずといっても過言ではないくらい、ストレスが付いてきます。
特にパートナーズの任務には、ストレスが多いかなぁと思います。(私の意見ですが)
パートナーズに特化したことを言うと、
・異文化の人と二人三脚で仕事をすること(NPとCP)
・"学校"という職場であること
・"公務"であること(日本語パートナーズは留学ではありません。公費で行われています。)
「海外で住む」ということ以外に、これらの条件があります。
意識していなくても、プレッシャーがあるんですよね。
このストレスとどう向き合うか、これは大切だと思うんです。そして、このことは、みなさんそれぞれにとっても大切だと思います。海外であれ、日本であれ、ストレスとの付き合いは切り離すことができません。
なぜ日本語パートナーズでコーピングが大切だと思ったか。
それは、「自分で選択できないことが多い」からです。
派遣地、派遣期間、家、学校etc....選択することはできません。変えることもできません。当たり前だと!と思うかもしれませんが、もう一つポイントがあります。それは、「日本語パートナーズそれぞれ環境が違う」ということです。
研修期間によく言われた言葉があります。
「他の人と、比べてはいけません」
ん〜、人と比べない人間っていますかね?(汗)
同じ期間に何十人と日本語パートナーズがいます。一緒に研修所で勉強します。仲間意識も芽生えます。だからこそ、嫉妬も芽生えてしまうんです。
パートナーズで活動している普段は、「周りと環境が違う」ということは全く感じません。ただ、ストレスを抱えるにつれて、環境が違うことがストレスになっていくんです。すみません、ネガティブなこと書いてしまって...でも本当なんです。
だからこそ!
コーピングが大切です。
環境は変えられません。
とにかくストレスと向き合う。
ストレスは悪いイメージがあると思いますが、決して悪いものではないと思います。成長するための助走だと思います。この助走をうまく活かしていきましょう。
コーピングの方法はたくさんあります。
どの方法がいいかは、人それぞれです。どんな時楽しいですか?気分転換になることは何ですか?どんな時ニヤニヤしますか?無になれる瞬間は?
少しずつ考えてみてください。思いついたことは、メモしておきましょう。些細なことで大丈夫です。持ち駒がたくさんあるほうが良いです。どういう場面でコーピングを使うかによって、できるものもあれば、できないものもあります。とにかく書き出してみてください。
最後に、私が、パートナーズ期間に、実際にしていたコーピングを紹介します。
<家にて>
・コーヒーを飲む(コーヒーが好きだから)
・足湯をする(アロマを数滴垂らすとリッチな気分に)
・筋トレする(運動すると考える暇もなくなります)
・大掃除する
・いらないプリントを破りまくる
・いつもと違うメイクをしてみる(Youtubeにたくさんメイク動画があるので、参考にしました。気分が変わります。ただ、外出できない。。。)
・LINE 電話をする(思いを吐き出すと楽になります。日本にいる人に話しても・・・と思うかもしれませんが、”話す”という行為だけでかなり楽になります。)
・DVDを見る(日本からDVDを持って行っていました。パソコンで見ていました。停電した時、圏外になった時でもできます。ちなみに、ミュージカル、映画、お笑いライブのDVDを持って行っていました。)
・動画作成(趣味です)
・Youtubeを見る(日本語を取り入れるためにしていました。寂しさも減ります。日本ではあまり見ていなかったのですが、インドネシアでハマりました。)
・ブログを書く(読者のみなさんありがとうございます!)
・手紙を書く(AIL MAILに憧れありません?私だけですかね?)
・寝る
・買い物に出かける(ショッピングモールをただ歩き回るということもしていました)
・カラオケに行く(日本の歌もあります)
・ミクロレットに乗る(ただ乗るだけ。景色を見るのも良いですよ)
・映画館で観る(日本より公開が早い!安い!)
カウンターパート(CP)の変化
私が日本語パートナーズとして活動した高校は、2校共に初派遣校。
そのうちの一校についてのお話をしたいと思います。
この学校に、日本語の先生はお二人。
男性と女性。
男の先生は30代。女の先生は40代。
日本語パートナーズは、いきなり学校に行くのではなく、二日間のNPとCPのワークショップを経て、学校に行きます。つまり、初めての出会いは、このワークショップにて。
ワークショップに関してはこちらの記事を↑
当初、お二人ともに、全く日本語を話してくださいませんでした。というよりかは、自信がないように感じました。日本語ネイティブに話すのは、緊張しますよね。
我々だってそうです。英語圏出身の方に、ペラペラ英語を話せますか?慣れていないと難しいと思います。
カタコトでも話してくだされば嬉しいですが、なかなか難しく・・・・。
北スラウェシには、NPの派遣が3度目の学校がたくさんありました。
つまり、NP活動に慣れた日本語の先生方が多数派です。
その方々と比べてしまうと・・・・自信がなくなるのは、わからなくもないです。
ワークショップ以降も、インドネシア語以外を聞くことがありませんでした。
日本語パートナーズの存在がきっかけになれば・・・・!
と思い、なるべくインドネシア語を使わないことに決めました。
たとえ先生がインドネシア語を話しても、返事は簡単な日本語で返す。
授業前と授業後に、軽く打ち合わせをする。
先生方との連絡の際は、日本語とインドネシア語を両方書く。などなど。
とにかく、日本語に触れる機会を増やしたこと、そして、不安を少しでも減らせるようにしたこと。この2つを徹底的にしました。
1ヶ月経ったころですかね。
男の先生が、徐々に日本語を使ってくださるようになりました。
インドネシア語の間に日本語が挟まるような。イメージとしては、ルー大柴さんが話す文のインドネシア語-日本語ver.
"turun あめ" (turun = 落ちる つまり、雨が降る)
2ヶ月経った頃には、男の先生は日本語だけで話してくれるようになりました。
一方で女の先生も、日本語で話してくれるようになりました。難しいときはインドネシア語で話して、それを日本語に訳して教えていました。
3ヶ月経った時、ふと女の先生に聞きました。
「なぜNPの活動に参加したのですか?」
先生は、「すみません、怒らないで」と何度もおっしゃいました。
「わたしは、嫌でした。NP来ても、授業ができないからです。でも男の先生がやってみようと言いました。だから1回だけやってみよう、と言いました。」
わたしは、「嬉しいです。」と答えました。
NPに参加しようという行動は、大きな一歩です。この行動は素晴らしい。同時に、どうかこの一歩が、報われますように。そのために自分がNPとしてできることは・・・。この時から、これまで以上にNP活動を考えるようになりました。
実はこの時、中間ワークショップを迎えていました。
中間ワークショップでは、これまでにしてきたことをNP、CPでプレゼンテーションする場です。日本語での発表がルールになっていました。
これは絶好のチャンス。
他の北スラウェシの先生方の前で、日本語で発表していただこう。それを自信にしていただこう。
御察しの通り、私はかなりスパルタだったと思います。
でも、何としてでも先生方には発表していただきたかった。
このことをCPの先生に話すと、思っていた通りの返事が。
「嫌です」
「恥ずかしいです」
「日本語、できないから・・・」
わかります。気持ちわかります。
「私、全力でサポートします!」
それぞれの先生と一対一で話し合いました。3時間から4時間ずつだったと思います。
話し合って、原稿を作って、練習をして・・・・。
経った8分のプレゼンテーションですが、CPの先生方にとっても、私にとっても、大きな経験になると思ったので、力は抜きませんでした。
プレゼン用のポスターと、資料を準備していきました。
当日。
先生方は懸命に練習をしてくださっていました。先生方の努力には脱帽です。
本番では完璧にプレゼンテーションしてくださいました。
「先生、本当にありがとうございました。素晴らしいです!」
と先生に言うと、
「日本語、話すことができました。」
この言葉はとても嬉しかったです。
誰よりも驚いていたのは、北スラウェシの先生方。えぇ!とても話してる!など、CPの先生の成長に驚いていました。その姿をみて、私はニヤニヤ( ̄▽ ̄)
派遣から5ヶ月後。
派遣校以外の学校に訪問することが増えました。その際、CPの先生も同行してくださいます。私の授業の通訳はCPの先生。とても頼りになります。
ある学校に訪問した時の帰り道の話。
車には、男の先生、女の先生、訪問先の先生、そして私が乗っていました。
私がうとうとしていると、先生方がこの6ヶ月間について話し始めました。(もちろんインドネシア語で)
「男の先生が、NP活動に応募したの」
そのうちに、女の先生が”私”の話を始め、シャキッと目覚めましたが・・・寝たふりを続けて耳を傾けていました。ビクビクしながら聞いていました。
「日本語パートナーズに応募してよかった。」
「日本語をもっと勉強しようと思う。」
「次回も日本語パートナーズに応募する。」
「あなたの学校も応募したほうがいいよ!もっと日本語を好きになれるから」
私の予想と反して、嬉しい言葉が並んでいました。
"1回だけ"のきっかけを"次回も!"に。
NPとしてこれほど嬉しいことはありません。
私と先生方との相性がよかったと思います。
そして、先生方の努力。嬉しい限りです。
私は寝たふりをしながら心で言いました。
「インドネシア語をもっと勉強しようと思います。」
帰国して3ヶ月経ちました。
女の先生は、日本語でメッセージを送ってくださるようになりました。
男の先生は、漢字を読めるだけでなく、書けるようにもなっていました。
今年も、日本語パートナーズが学校に来るそうです。
パートナーズになると太る?....!!
(あくまでも私の意見ですので、気軽に読んでください)
留学をする(あるいは海外で暮らす)と、太るとよく言われます。もちろん痩せる人もいます。
インドネシアの日本語パートナーズに限った話をすると、太る傾向にあるようです。その理由は後ほど、、、、。
_________
逆に激ヤセする人もいます。
私の代も激ヤセされたパートナーズさんがいらっしゃいました。
その方々の共通点は、『料理が合わなかった』ということです。
まずは、スパイスだと思います。
一品に5種類ほどはスパイスが入っています。日本人のお腹はスパイスの耐性がないことが多く、お腹を下してしまうというケースがよくあります。"旅行者下痢"という言葉をご存知ですか?短期旅行であっても、旅行の最終ぐらい、あるいは帰国後に下痢になることです。
ちなみに、私はこれまでにインドネシアに、回数にすると5回行きました。そのうち4回、下痢になりました。今回のパートナーズも始まって2週間で下痢に襲われました。。。
次に、このように体調を壊した時に食べるものがない、、、、ということです。
全くないということではありません。日本で食べるようなものがない、ということです。料理は野菜が少なくて、油物が多いです。ちょっと日本人は避けたくなるようなものばかりで、、、、。
体調を壊したパートナーズさんの中で、何も食べなかったという人は多かったようです。あまりよくないと思います。無理して食べる必要はないですが、治りが遅くなると思います。こういう時のために、おかゆセットや、栄養ドリンクを日本から持って行ってるといいかなぁと思います。
後は、味が合わない。スパイスの味が苦手だったり、タイ米が苦手だったり。あとは、唐辛子を使った辛い料理、あるいは砂糖を使った甘い料理が多く、味に飽きる人もいらっしゃいました。
このようなパートナーズさんは、痩せていました。
日本食を確保するのも、場所によってかなり異なってきます。私がいた北スラウェシだと、日本食レストランは4箇所ほど、日本製品はほぼ売っていません。
_______
話を戻しまして、太る傾向にある話を。
正直に言います、
私はこの半年で5kg太りました>_< ((((オーマイガッ
帰国後すぐには体重計に乗れませんでした。怖くて。1週間経ってから乗りました。(それまでに若干痩せたかもしれませんが)出国前と比べて+5kg、、、、。
なぜ太ったか、理由を列挙します。
ごはん🍚
ごはんの量が多い!おかずは少なめで、ごはんが多い。日本でいつも食べていた量の3倍はありました。 炭水化物はすぐ溜まります。残せばいいじゃないか?と思われるかもしれませんが、次の理由です。
周りの視線
みなさん優しいんです。だからたくさんご飯くださいます。お腹いっぱい!と言ってもくれます。残すと、なんで?病気なんじゃない?と聞かれます。世話焼きな人が多くて(^^;;徐々に断れなくなって食べてしまうんですよね。。。
幸せをもらう文化
結婚パーティー、誕生日パーティーなど、嬉しいパーティーがあった場合、そこで出された食べ物を周りの人に渡す文化があります。これは、他人の幸せをいただく、シェアする、という考えからきます。そして、インドネシアはパーティーが多いこと。
ほぼ毎日、いろんな先生から食べ物をいただきます。幸せを胃に入れるのよ〜!ということですね。
揚げ物、油物
ナシゴレンはご存知ですか?インドネシアのチャーハンのことです。ナシは、ご飯という意味。ゴレンは、揚げ物、油を使って調理したものという意味です。この場合、チャーハンは油でいためますので、ゴレンという単語が使われています。
インドネシアの料理はとにかくゴレンが多い!
よく食べられるピサンゴレン。ピサンはバナナ、ゴレンはこの場合揚げたもの、つまり揚げバナナという意味です。半年間で何度も食べました。食事の時間ではないときに、よくもらいました。スナック感覚で、揚げ物を食べる習慣があって、、、、。んー、そら太るよね。
砂糖
インドネシアに行った日本人が驚くことベスト5には入ると思うこと、それは、お茶が甘い。お茶も紅茶もコーヒーも全部甘い。
お茶に砂糖を入れることが多いからです。
コンビニで売られているペットボトル。底に砂糖が溜まっているのがわかります。
最近では砂糖抜きも売られるようになりましたが、都市部のみでしか見たことがありません。
私は家で自分で入れていました。砂糖抜きが好きなので。。。
でも、周りの方からいただく飲み物は甘かったです。ペットボトルに蟻が寄ってくる、、、いかに甘いか想像していただけるのでは?
歩かない
これが大きい原因です。
ちょっとの距離でも、車かバイク。
歩いているのは私ぐらいしかいない、ということが多々。
途中からは、周りの人々から、危ないから乗り物に乗りなさいと怒られ、歩くことは減りました。
日本でいかに歩いていたか、と痛感しました。
というのも、インドネシアは交通機関が安い。そして、暑い。乗ったほうが便利、、、ということで歩かなくなりました。
道もガタガタですし、歩道がないことも多い。たしかに歩くのは危なかったかも。
お風呂
私はこれも要因としてあると思います。
半年間シャワーで生活したこと。
基礎体温が下がったと思います。私はもともと低体温だったのですが、お湯で温もるということがなくなり、ますます身体の芯が冷えていったような気がします。
以上の理由です。
毎日エクササイズはしていましたが、増量を食い止めることはできず、ブクブク太りました。
最後の方では、生徒にデブデブと言われる日々。すごいショックです。ただ残念なことに(?)、インドネシアでは、ふくよかな女性がモテる傾向にあります。ふくよか=経済力のあるということだそうです。だとしても、やっぱショックです。。。。
______
帰国して家族からデブと言われ、やっぱり痩せないとなーと思いました。
現在、帰国して1ヶ月半経ちますが、出国前の体重に戻りました!
どうやって痩せたかというと、、、、特に何もしていません。歩数計をつけてるようにした、体重計に乗るようにした、ぐらいです。
日本の生活に戻ったことが大きな理由だと思います。
歩く量が増えた、食生活が変わった、お風呂で温もるようになった、この3つが主な理由だと思います。歩く量は全然違います。帰国した当初は、少し歩くだけでハアハア(*´д`*)していました。
国際交流基金(Japan Foundation)の職員さんによると、女子は太って帰ってくる、男子は痩せて帰ってくる印象だそうです。
最後に、この記事で言いたいことは、
海外で生活する時に、ダイエットしよう!なんて思わないでほしいということ。
無理なダイエットは体調に響きます。体調を壊して活動できないより、太っても元気なほうがいいと思います。
また、海外で長期滞在を予定されている方は、行き先での料理を前もって食べてみるというのも手だと思います。料理が合わないのは、体にも精神にもつらいことです。日本食を持っていったり、好きなお菓子を持っていくだけでもかなり変わってきます。私のオススメは味噌汁です💕
インドネシア・北スラウェシで日本文化紹介
日本語パートナーズとして6ヶ月間派遣されていた間、派遣校を含め、11校で日本文化紹介の授業をさせていただきました。
日本語パートナーズが学校ですることは、大きく分けて2つあります。
「日本語の授業」と「日本文化紹介」です。
前者の「日本語の授業」は、私たちが日本で英語の勉強をしていたものと似ていると考えてください。教科書に沿って文法を勉強したり、ネイティブの発音を聞いたり、(このネイティブが日本語パートナーズになります)。派遣校の中には、日本語の授業だけしてほしい、という要望の学校もあります。
後者の「日本文化紹介」は、その名の通り。現地の先生ではなかなか教えられないことなので人気です。生徒以上に先生の方がノリノリな場合も。
準備から片付けまでかなり大変ですが、その分やりがいもあります。
NP(日本語パートナーズ)の中には、ずーーーーっと文化紹介をした人もいます。費用も時間もかかりますし、大変だろうなぁ・・・(・・;)
ちなみに、この費用は、限度はありますが、活動費として精算書類を提出することができます。立て替え期間は長くなってしまいますが。。。
今日は、私が実際に行った日本文化紹介を全て簡単に紹介します。
そして、最後に、おすすめベスト5を発表します。
海外で日本の文化を紹介する方、あるいは日本語の先生になる方、出し物して〜と頼まれた方、ぜひ参考にしてくださいね。
<文化紹介> Perkenalan budaya Jepang
◇音楽 musik
・歌 『幸せなら手を叩こう』/ lagu “Shiawasenara Te wo Tatakou”
→インドネシア語でもあるので、歌詞をローマ字で黒板に書けば、すぐに歌えます。ただ一部メロディが異なる(「♪幸せなら態度で示そうよ、ほらみんなで手を叩こう」の部分)ため、訂正が大変、というか訂正しませんでした🤣
・歌 『やくそくの木の下で』 / lagu “Yakusoku no Ki no Shita de”
日本語パートナーズの歌です。以前にもNPが派遣された学校だったら、知っているかも。歌詞が泣けます。お別れ会で生徒が歌ってくれました。
・輪唱 『カエルの歌』 / “Kaeru no Uta”
輪唱が面白いみたいです。歌詞もメロディも簡単で、盛り上がります。
◇食べ物 makanan
・おにぎり / Onigiri
のり、昆布が人気でした。梅は不人気。
・味噌汁 / Misoshiru
喜んでいたのは私だけでした・・・。「味噌汁は不人気」は、海外あるあるだそうです。
・たこ焼き / Takoyaki
蛸が嫌いな人が多く、代わりにソーセージ、チーズ、コーンを入れました。もう何焼きですかね。クルクルするのが楽しいようです。
・巻き寿司 / Makizushi
海苔がなかったので、韓国海苔で代用。美味しかったようです。
◇おりがみ
・ハート / hati
女子に人気でした。簡単です。youtubeを参考にさせていただきました。
・紙風船 / balon kertas
これは折れない人続出。綺麗にできた生徒は楽しく遊んでいました。
・絵馬 / Jimat budaya Jepang
難しかったようです...。「絵馬」という文化には、興味を持ってもらえました。
・力士 / Sumo Wrestler
紙相撲をするために作りました。
・かえる / kodok
飛ばないカエルになった生徒続出。んー難しいみたいです。。。
◇あそび / mainan
・豆つかみゲーム / mainan ambil kacang pakai sumpit
箸を使うことに興味津々。箱から箱へ出来るだけ多く移すパターン、数を決めて出来るだけ早く移すパターン。後者の方が盛り上がりました。(伝わりますかね?)
・すいかわり / mainan split semangka
参加者が意外と少ない。NPが率先してすべきだったかも?
・けん玉 / Kendama
私がけん玉が好きだったので、やりました。実際にやるよりも、人がやっているのを見る方がよかったようです。
・だるま落とし / Daruma-otoshi
一振りごとに歓声が上がりました。
・早口言葉 /bilang kata-kata secepat mungkin
ドヤ顔合戦。日本人よりも海外の人の方が上手かも。
現地語の早口言葉を生徒に教えてもらいました。
・紙相撲 / Kami-zumou
「相撲」のことを知っている生徒が多く、盛り上がりました。
・だるまさんの1日 / Darumasan no Ichinichi
日本語の単語を覚えてもらうためにしました。ただ、一定のレベルに達していないと難しいゲームです。動詞の〜ます形でやりました。(Ex.「食べます」「泳ぎます」)
・マルバツゲーム / game benar atau salah
日本の文化についてまるばつゲームをしました。まず、まるばつゲームのルールを説明するのが難しい。。。。。
・ひらがなビンゴ / Hiragana-Bingo
3×3のマスに、好きなひらがなを書いてもらいました。これも盛り上がる。カタカナ、数字、漢字、マスを増やしても面白そう。
◇服 / baju
・浴衣 / yukata
一番日本らしいと思うのかも。生徒より先生に人気でした。一番疲れた日本文化紹介。
・制服 / seragam sekolah Jepang
漫画やドラマの影響で、生徒に人気。
◇その他
・高校生活 / Kehidupan di SMA Jepang
時間割、通学、クラブ、制服など、自分の高校生活を元に教えました。
高校生にとっては、馴染みやすいテーマだったみたいです。
・壁ドン / kabedon
マンガの主人公になった気分だったようです。照れながらしてくれました。教室中から歓声が。
・お金 / Uang Jepang
お金の種類についての説明。お札に書かれているもの、コインの種類など、現地のお金とも比較ができて、NPも楽しいです。
・買い物 / berbelanja di Jepang
日本のスーパーのチラシを使って、擬似買い物ゲーム。それを現地のお金に換算もしました。日本の物価の高さに驚きが止まらない。
・家 / rumah di Jepang
日本の家について。間取りや、部屋の種類。訪問するときのマナーなど。
・マイストーリー / my story
NPの活動として教わる「マイストーリー」。これは、自分(NP)の写真を使って、目で見える日本文化、見えない日本文化を学んでもらいます。
☆おすすめベスト5☆
第5位 豆つかみゲーム
まず準備がしやすい。
箸を使うことが面白いようだ。
競争にすると盛り上がって良い。
第4位 カエルの歌
輪唱が上手くいったときの生徒の笑顔が忘れられません。
歌うことが好きな人が多く、積極的に歌ってくれる。
カエルの鳴き声が歌詞に入っているのも、面白いみたい。
15分でできる手軽さも良い。
第3位 お金・買い物
「お金」「物価」は、より日本をリアルに感じてもらえるテーマだったと思う。
インドネシアでも売られている商品を5つ選んで、チラシから値段を探してもらった。その後、ルピアに換算してもらった。現地での値段とも比較をした。
米の値段にとても驚いていた。ちなみに北スラウェシでは、1kg200円ぐらいだそう。
第2位 浴衣
本当に疲れますが、達成感が半端ないです。着付けも上手くなるし、自分の勉強にもなります。浴衣を着た生徒や先生の写真がSNSにたくさん投稿され、達成感に浸りました。
第1位 スイカ割り
インドネシアはスイカが手に入りやすい。「前」「後ろ」「右」「左」という単語も覚えられる。ルールもわかりやすい。クラスの団結力も出る。前に出て目隠しをするという参加者は想像よりは少なかったのがやや残念。嬉しかったのは、先生が別の学校でスイカ割りをしてくれたこと。NPがいなくなった後でもできることが大切だと考えているので、これは嬉しかった。
文化紹介で大切なことは、「自分自身が楽しむこと!」
文化が違うわけですから、彼らにハマらないことも多々あります。そんなとき、ショックを受けるのではなく、「自分が勉強になった」「日本文化面白いな」「他文化との比較ができたな」など、考え方を変えてみましょう。
私も実際、味噌汁が全く受けず、かなり落ち込みました。日本文化を否定されたような気持ちになりました。
でも、よく考えてみたら、彼らの食文化に味噌汁に近いものはありませんでした。
大切なのは「経験」です。
きっと、自分がいなかったら、彼らは味噌汁に出会わなかったのかなぁ・・・そう考えるとちょっとワクワクしません?
現地SIMを使っていた方への注意喚起!
これからは、日本語パートナーズの情報発信を中心に、まぁ書きたいことを書いていこうと思います。
さて、帰国後すぐに携帯会社に行って復帰したのですが、問題がありました。
みなさん、復帰させた時に、チェックすると思うんですが、電波がある、ネットが使える、Lineができる....私はこれでチェックを終えていました。
必ず、電話をかける、そして電話をかけてもらう。
これをしてください。
1ヶ月間も、電話が使えないままで過ごしていました(泣)
正直、普段LINE電話がメインなので、電話自体を使うことが少なく、このことに気づきませんでした....。
そして、このこと、電話会社さんの店頭では直してくれません....個人で直さないといけません。
インドネシアでは店の人が全部設定をしてくださいました。
なので、どこがいじられていたのかが全くわかりませんでした。
家族に直してもらいましたので、具体的なやり方がわかりません(なんとテキトウな記事....)
とにかく伝えたいことは、電話を試すということです。
SMSも届きません。これのせいでいかに苦労したか......;;;;;;
ありがとうインドネシア。
このブログでは報告できていませんでした、、、すみません🙏
先月末に無事帰国しました。
最後の飛行機は、エコノミーで1番前の列でした。前に席がなく足も伸ばせる〜とルンルンでしたが、、、、結果全く寝られず、、、多分1時間も眠っていない、、、、。
というのも、CAさんが何分かごとに、トイレのチェックをするんです。ライトが眩しい、、、。アイマスクしてたけど無理でした😭
あとCAさんがとてもファンキーで、、、カメラやパソコンの入ったリュックを投げられました。。。うぅ、もうちょっと丁寧にしてほしかったなぁ😰
というわけで、帰国して2日間ほどは爆睡モード。
20:00に寝て、気づいたら12:00。もちろんお昼の。寝すぎ〜(笑)
その後は日本で過ごすために必要なことをしていました。
まずは病院へ。
このブログの読者さんはご存知だと思いますが、2月に何度かインドネシアの病院に行きまして、、、。
まぁ結果を言えば、回復しなかったんです。
帰国してから改めて行こうと心に誓い、約2ヶ月我慢に我慢を重ねました。
日本の病院でびっくりしたことは、診察の早さ!そして錠剤が小さい!
恥ずかしながら、齢二十歳を過ぎた大人ですが、錠剤が飲めず困っておりました、、、
インドネシアのドデカ錠剤をごっくんごっくん頑張って飲んでおりましたので、日本の錠剤は余裕になりました。ありがとうインドネシア🇮🇩
だいぶ症状が軽くなりました。
次に、手帳を買いに行きました。
計画を立てるのは苦手ですが、大学生になってからスケジュール帳を使うのにハマり、今ではなくてはならない存在になりました。
パートナーズ用に100均でスケジュール帳を購入。インドネシアでずっと使っていました。
インドネシアの人はスケジュール帳を使う人はほとんどいません。というかこの6ヶ月で1人も出会いませんでした。かといって、スマホにメモするわけでもありません。予定がコロコロ変わる環境。メモる必要はないのかもしれないですね。本屋さんや文房具屋さんに行っても、売っていないことが多かったです。
新年度。心機一転ということで、ロフトへ。ここでびっくり。値段感覚がおかしい。
1000。seribu....日本円で10円⁉︎
という瞬間がありました。
いやいや、ここは日本。そのまま。¥1000。
日本はやっぱり物価が高い。いや、インドネシアの物価が安いのか?
帰国前のジャカルタでは、最後のインドネシアの料理!ということで、いつもよりリッチな場所へ行きました。人気店で45分ほど待ちました。
10品ぐらい頼みました。4人で行って、Rp.600.000日本円で¥6000つまり1人¥1500。ありがとうインドネシア🇮🇩
カフェ納めもしました。
J.CO というカフェ。東南アジアだけでしょうか?コーヒーを頼むとドーナツが付いてくるというお得なカフェ。
NPさんのオススメで、私は初体験。
コーヒー美味しいです!
確か¥200ぐらいだったような、、、、。
おススメです😄
安いし美味しい。最高。ありがとうインドネシア🇮🇩
次回はオススメお土産特集でも書こうかな。