チョバチョバ - coba-coba indonesia

coba-cobaはインドネシア語で「やってみる」。インドネシアで、日本で、いろんなことに挑戦してみる。

カウンターパート(CP)の変化

私が日本語パートナーズとして活動した高校は、2校共に初派遣校。

そのうちの一校についてのお話をしたいと思います。

 

 

 

この学校に、日本語の先生はお二人。

男性と女性。

男の先生は30代。女の先生は40代。

日本語パートナーズは、いきなり学校に行くのではなく、二日間のNPとCPのワークショップを経て、学校に行きます。つまり、初めての出会いは、このワークショップにて。

mknesia18-19.hatenablog.jp

ワークショップに関してはこちらの記事を↑

当初、お二人ともに、全く日本語を話してくださいませんでした。というよりかは、自信がないように感じました。日本語ネイティブに話すのは、緊張しますよね。

我々だってそうです。英語圏出身の方に、ペラペラ英語を話せますか?慣れていないと難しいと思います。

カタコトでも話してくだされば嬉しいですが、なかなか難しく・・・・。

北スラウェシには、NPの派遣が3度目の学校がたくさんありました。

つまり、NP活動に慣れた日本語の先生方が多数派です。

その方々と比べてしまうと・・・・自信がなくなるのは、わからなくもないです。

 

 

ワークショップ以降も、インドネシア語以外を聞くことがありませんでした。

 

 

日本語パートナーズの存在がきっかけになれば・・・・!

と思い、なるべくインドネシア語を使わないことに決めました。

 

たとえ先生がインドネシア語を話しても、返事は簡単な日本語で返す。

 

授業前と授業後に、軽く打ち合わせをする。

 

先生方との連絡の際は、日本語とインドネシア語を両方書く。などなど。

 

とにかく、日本語に触れる機会を増やしたこと、そして、不安を少しでも減らせるようにしたこと。この2つを徹底的にしました。

 

 

1ヶ月経ったころですかね。

男の先生が、徐々に日本語を使ってくださるようになりました。

インドネシア語の間に日本語が挟まるような。イメージとしては、ルー大柴さんが話す文のインドネシア語-日本語ver.

"turun あめ" (turun = 落ちる つまり、雨が降る)

 

 

2ヶ月経った頃には、男の先生は日本語だけで話してくれるようになりました。

一方で女の先生も、日本語で話してくれるようになりました。難しいときはインドネシア語で話して、それを日本語に訳して教えていました。

 

 

3ヶ月経った時、ふと女の先生に聞きました。

「なぜNPの活動に参加したのですか?」

先生は、「すみません、怒らないで」と何度もおっしゃいました。

「わたしは、嫌でした。NP来ても、授業ができないからです。でも男の先生がやってみようと言いました。だから1回だけやってみよう、と言いました。」

わたしは、「嬉しいです。」と答えました。

NPに参加しようという行動は、大きな一歩です。この行動は素晴らしい。同時に、どうかこの一歩が、報われますように。そのために自分がNPとしてできることは・・・。この時から、これまで以上にNP活動を考えるようになりました。

 

 

実はこの時、中間ワークショップを迎えていました。

中間ワークショップでは、これまでにしてきたことをNP、CPでプレゼンテーションする場です。日本語での発表がルールになっていました。

これは絶好のチャンス。

他の北スラウェシの先生方の前で、日本語で発表していただこう。それを自信にしていただこう。

御察しの通り、私はかなりスパルタだったと思います。

でも、何としてでも先生方には発表していただきたかった。

 

このことをCPの先生に話すと、思っていた通りの返事が。

「嫌です」

「恥ずかしいです」

「日本語、できないから・・・」

わかります。気持ちわかります。

「私、全力でサポートします!」

それぞれの先生と一対一で話し合いました。3時間から4時間ずつだったと思います。

話し合って、原稿を作って、練習をして・・・・。

経った8分のプレゼンテーションですが、CPの先生方にとっても、私にとっても、大きな経験になると思ったので、力は抜きませんでした。

プレゼン用のポスターと、資料を準備していきました。

 

当日。

先生方は懸命に練習をしてくださっていました。先生方の努力には脱帽です。

本番では完璧にプレゼンテーションしてくださいました。

「先生、本当にありがとうございました。素晴らしいです!」

と先生に言うと、

「日本語、話すことができました。」

この言葉はとても嬉しかったです。

誰よりも驚いていたのは、北スラウェシの先生方。えぇ!とても話してる!など、CPの先生の成長に驚いていました。その姿をみて、私はニヤニヤ( ̄▽ ̄)

 

 

派遣から5ヶ月後。

派遣校以外の学校に訪問することが増えました。その際、CPの先生も同行してくださいます。私の授業の通訳はCPの先生。とても頼りになります。

 

ある学校に訪問した時の帰り道の話。

 

車には、男の先生、女の先生、訪問先の先生、そして私が乗っていました。

私がうとうとしていると、先生方がこの6ヶ月間について話し始めました。(もちろんインドネシア語で)

「男の先生が、NP活動に応募したの」

そのうちに、女の先生が”私”の話を始め、シャキッと目覚めましたが・・・寝たふりを続けて耳を傾けていました。ビクビクしながら聞いていました。

 

「日本語パートナーズに応募してよかった。」

 

「日本語をもっと勉強しようと思う。」

 

「次回も日本語パートナーズに応募する。」

 

「あなたの学校も応募したほうがいいよ!もっと日本語を好きになれるから」

 

私の予想と反して、嬉しい言葉が並んでいました。

"1回だけ"のきっかけを"次回も!"に。

NPとしてこれほど嬉しいことはありません。

 

私と先生方との相性がよかったと思います。

そして、先生方の努力。嬉しい限りです。

私は寝たふりをしながら心で言いました。

 

インドネシア語をもっと勉強しようと思います。」

 

 

 

帰国して3ヶ月経ちました。

 

女の先生は、日本語でメッセージを送ってくださるようになりました。

 

男の先生は、漢字を読めるだけでなく、書けるようにもなっていました。

 

 

今年も、日本語パートナーズが学校に来るそうです。

 

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